スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

さあ、元気になりなさい1

 私はその時、とても最低な気分だった。
 プシュッと空気の抜ける音がして、電車のドアが開く。ぬるい温度の車内に、不意に少しだけ冷たい風が吹き込んできて思わず目を閉じた。
 そういえば、参列者の心情を反映するように、今日は一日じめじめとした天気だった。
 そんな日の夜は、いくら春になりかけているとはいえ、まだ肌寒い。ホームへ足を延ばすと、思っていた以上にコツリとヒールの音が響いた。
 ベッドタウンの駅は、日曜の深夜にもなると、人口はぐっと少なくなる。
 誰もいない駅の構内を、私は自分の重い体を引きずるように、歩いた。
 慣れない喪服。しかも靴ズレでかかとが痛い。
 そして私の心は空を覆う厚い曇に負けないくらい、とても鬱々としていた。
 なぜなら今日参列してきた葬式が、良く知る地元の先輩ギタリスト、早水京平の新婚三ヶ月目の奥さん、砂夜子さんのものだったからだ。
 彼女の葬式は、トップアーティストの京平の親族ということを考えると驚くほど質素なもので、喪主の癖にごく親しい人以外必要最小限しか会おうとしない、彼のひどくやつれた姿は、その悲しみの深さを目の前に突きつけた。
 ……そして彼に会うことができた私達は、彼女の葬式が、同時にずっと好きだった彼のギターの葬式でもあることを知っていた。
「こんなのって……ないよぉ……」
 涙でまた輪郭がにじむ。
 もともと体が強くなかった砂夜子さんだったけれど、それでも彼女の死は本当に突然で、京平のショックは相当なもので、とても見ていられなかった。
 悔しくて、悲しくて枯れ果てたと思ってもまだ涙が流れて、いくらでも泣ける自分が笑える。
 そう思うのに、どうしても涙は止まらなくて、手の甲で直接何度も頬をぬぐった。
「ちっくしょう……」
 葬式での京平が、脳裏にフラッシュバックする。
 どんなときも片時もギターを手放したことなんて無かった癖に、どんだけ彼女の死が辛かったのか。
 もうギターはやめたと生気なくぼそりと呟く京平を、許されるなら張り倒してやろうかと思った。
 私は本当に、京平のギターが好きだったのに、
 切なくて、たまらなくて何度も後から後から溢れてくる。
 彼女が危篤に陥った時、京平はたまたまツアーで遠方にいたらしい。
 しかも彼女の死に目に立ち会えなかった京平に追い打ちをかけるかのように、かけつけた病室で彼女の弟が思わず怒鳴ったんだという。
『お前は砂夜子よりも、ギターのほうが大事だったのか!』
 その言葉が、京平からギターを奪った。
 棺の横で腑抜ける彼に、かつてのあの自信に溢れたギタリスト、早水京平の姿はどこにも見当たらなかった。
 ……まるで砂夜子さんと一緒に、京平の心も遠い世界に連れていかれてしまったみたいだった。
 悔しいよ。そんなにも砂夜子さんが大事だったの。
 知りあったのは、私の方が先だったのに。
 こんな結末迎えるって知っていたなら、どんなことをしても邪魔するんだった。
 そんなくだらない後悔さえ、浮かんでくる。
 京平と出会ったのは、ライブハウスだった。悪ガキがそのまま大人になったようなヤンチャなギターに一目惚れした。
 有名になってからも、地元の後輩アーティストにもフレンドリーに接してくれる、そんな気さくなところも好きだった。
 そんな京平が三ヶ月くらい前に突然、今迄聞かせたことも無かったような優しいバラードを発表した。
 それまでの激しいロックとは全然違う甘い曲調に面食らっていると、いきなり砂夜子さんとの結婚発表があって、京平は他人のものになってしまった。失恋を感じる暇も無いほど、あっという間の出来事だった。
 そして、多分京平の初めてのバラードは、本当に素敵な曲だった。
 だから、納得できたのかもしれない。
 京平の音が本当に幸せそうだったから、これでいいと思えた。
 これからも進化した京平の音を聞いていけるのなら、これでいいと思ってたんだ。それなのに。
「ひどいよ、京平」
 鼻をすすり、涙でぐちゃぐちゃになったメイクを直す気力も無いまま、電車を降りる。
 改札を出たところで、もう足を前に出す気力も尽きかけてきて立ち止まると、不意に若いストリートミュージシャンのギターと歌声が聞こえてきた。
 
 
 誰よ、こんな時間になってまで歌っているバカは。腕時計の時間を見ると、夜十時。
 それでもわりと弾きこんでいる弦の音だった。テクニックとしては中の上、ってところか。
 ストリートミュージシャンにしては、上手い方かもしれない。
 しかしどうしてもプロの京平の音を聞き慣れた私には、その微妙な技量が、かえって鬱陶しく感じた。
 あんまりイライラしないうちに、さっさと立ち去ってしまおう。そう思って足を早める。
「あれ……」
 しかし、階段下の閉店した駅内購買の前に座り込んで歌うその男子学生の姿を目にした瞬間、足が止まった。
 このへんでは有名な進学校のクリーム色の制服を着くずしたまま、一生懸命自作らしいラブソングを掻き鳴らすそいつの顔に、見覚えがあったからだった。
「祐介?」
 彼は、父方の従兄弟だった。うちは両親が離婚してるので、会うのは三年ぶり。
 特に仲がよかったわけでもない。冠婚葬祭とかで強引に引っ張って連れていかれた親族の集まりとかで、ごくたまに顔を合わせたくらいの間柄だ。
 人通りの少ない駅で、足を止めた気配が余計に目立ったのだろう。祐介が顔をあげる。
「……久しぶりだな。瞳じゃないか」
 意外にも、向こうから親しげに声をかけてきた。
「こんなところで何をしてるかと思えば……何こんな場所で、甘ったるい曲歌ってるのよ」
 皮肉げにわざと顔を歪めてみせた私に、祐介は怪訝そうな顔をする。
「どうしたんだ、そのカッコ」
 喪服のことを言ってるらしい。
「もちろん葬式に行ってきたのよ。ちょっと先輩ミュージシャンの奥さんが亡くなってね」
 多分祐介でも、京平の名前は言えば分かると思ったけれど、なんとなく言いたくなかった。
 脳裏に、見てきたばかりの虚ろな京平の姿がまたかすめる。
「そんなラブソング歌っていてもね。人生なんて、一瞬先にどうなるかなんて分かんないんだから」
 気がつくと、そんな嫌味を呟いていた。
 完全に八つ当たり。でも呑気にラブソングなんて歌える祐介が妬ましくて、ささくれだつ自分を止められない。
 でもそんな私に、祐介はただ肩をすくめただけだった。
「いいんだよ。今があの人が俺の傍にいてくれることが嬉しいんだから。……今日あの人が、俺の夢を笑わずに聞いて来れたから」
「何? それって、実体験な恋愛ソングなの。……ガキっぽい」
 鼻で笑った私に、祐介がムッとしたように言い返してくる。
「瞳だって、一つ年下なだけだろうが」
「お生憎さま。同世代でも、私は今日、恋愛なんてするもんじゃないって、嫌ってほど骨身に染みて帰ってきたところよ」
 そんな私に何か勘付いたようで、祐介が黙って見上げてくる。
「……なんか、あったみたいだな」
「言っとくけど、同情はいらないから」
「別に同情する気はない。……でも、そうだな。せっかくだし、なんか歌うか」
 祐介が、自分の横を指さしてくる。
「へ?」
「こういう時は歌った方がいい」
 意外な返しにきょとんとしていると、祐介は苦笑しながらため息をついてみせた。
「狭い町内だ。インディーズやってりゃ、嫌でもそれなりに売れてる奴の噂は、耳には入ってくる。ここらじゃボーカルとしてはちょっとした顔だろお前」
「あれだけ噂好きな芳野の家の集まりには、一度も顔を出さなかった癖に」
「お互い様だろ。それにあそこで、どんな聞きたい噂があるっていうんだ」
「それもそうね」
 私はすっかり足を痛めたヒールの靴を脱ぎ捨てて裸足になり、祐介の横に並んだ。
 思い切り声を出してみるのも、いいかもしれないと思った。とにかく、このもやもやした気持ちを吐き出したい。
 ボーカリストの心は、歌で吐き出すものだ。
「ね、ゆず弾ける?」
 ギター一本ならこのへんが妥当かなと思ってリクエストすると、あっさりと首を横に振られた。
「弾けないし、知らない」
「そっちが誘った癖に」
 即座に悪態をつく私に、ムッとしたように祐介が眉根を寄せる。
「我侭言うな。それに俺、最近ほとんど自分のオリジナルばっかり弾いてるしな」
「なに、じゃあアカペラで歌えっての」
 私は肩をすくめた。
 仕方ない。諦めて息を吸いかけたとき、祐介がぼそりと呟いた。
「あ、でもひとつだけ弾ける曲があった」
 そして彼のギターがゆっくりとした旋律を奏で始める。
「なに、その曲」
「no woman no cry」
 やがて、紡がれる英語の歌詞。ハードロック好きな祐介には珍しいくらいの、ゆったりとしたメロディ。
 泣かないで、と繰り返すその英語の歌詞には、どこか懐かしい感じすらした。
「聞いた事ない。誰の曲」
「ボブ・マーリー。レゲエらしい」
 レゲエ? 祐介にしては、らしくない選曲に目を丸くする。
「……祐介がレゲエなんて、意外すぎる」
「ほっとけよ。たまたま前にここに立ってたストリートミュージシャンに、教わったんだよ」
「珍しい」
 からかうように絡むと、祐介が苦虫を潰したような顔で、そっぽを向いた。
「歌詞がなんか気になって……どういう曲なのか気になったんだよ。その時は」
 私はそんな祐介が、年相応の照れたような仕草をしたことに、思わず吹き出す。
 何よ、案外可愛いとこあるじゃん。
 でも祐介の歌を聞いているうちに、気になった、と言ったその理由は、ちょっと分かるような気がした。
 何度も大丈夫だから、と繰り返すこの歌は、泣いている「あなた」に「僕」が顔を上げて欲しくて歌う歌。
 どんなに辛いことばかりに感じても、「あなた」にそれでも世界は大丈夫だから、歩いていっていいんだよ、と伝える歌。
 そして再び歩き出して欲しいと「あなた」に願っている「僕」のまなざしを、想いを伝える歌。
 ひょっとしたら、祐介はこの歌に、好きになった人の何かを感じたのだろうか。
 親戚という以上に祐介のことは知ろうとしたことも、知る必要も感じたことは無かったけれど。
 一人のアーティストとして見たとき、こいつは結構不器用な奴なのかもしれない、と思った。
 私は、思わず吹き出す。
「じゃあ、その曲でいいや。合わせられそうなところから加わるから、もう一回やって」
 結局その夜は、メチャクチャに歌った。喉のことを考えず気が済むまで、思いつくままに結局いろんな曲を歌いまくった。
 喉が潰れてしまいそうな気さえしたけど、リミッターを自ら外した。仮にもプロを目指すなら、あるまじき行為。
 でもその夜はそうすることが、必要だった。
 むしろ、そうすることで、自分に覚悟が生まれるような気さえしていた。
 ギターを失うほど苦しんだ京平を、仲間として支える覚悟。
 誰も、砂夜子さんの代わりなんてできない。
 でも私はやっぱり、京平のギターが本当に好きなんだ。
 何人も知らない人が、通り過ぎる。最初のうちは、振り返ってさえもらえない。でもそこがいい。
 もともと野外で歌うというのは、手が抜けないものだ。
 マイクの無いところで声は、全然響かない。
 雑踏の中で手を抜けば、二、三メートル先にいる人にさえ、歌詞がちゃんと聞こえない。
 音と歌は、違うのだ。
 その手が抜けない感覚に、引きずられて、研ぎ澄まされていく。
 声よりもずっと音の伸びが良いギターに必死に追いつこうと、どんどん自分が本気で歌い出していく感覚が心地良かった。
 不思議なもので歌っている間は、京平のことを考えることが辛くない気がした。
 歌に、慰められたような気がした。
 そして祐介はそんな私の無茶に、最後までつきあってくれた。
 ちょっとだけ人垣ができても、人がいなくなっても、関係なかった。ただ衝動のままに、歌を歌った。
 ……そうして私は、なんとかその夜を、乗り越えることができた。
 
 
 そして、そんな奇妙で優しい夜が、学生の祐介に会った最後になった。
 翌年、祐介はデビューし、あっという間にスターダムにのし上がり、気がつけば彼もまた、手の届かない存在になってしまったからだった。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。